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テレビ番組「ハーバード白熱教室 Justice with Michael Sandel」の聴講メモ。

- 第4回「この土地は誰のもの?」
http://www.nhk.or.jp/harvard/lecture/100425.html
- NHK ハーバード白熱教室|番組概要
http://www.nhk.or.jp/harvard/about.html
- Wikipedia:マイケル・サンデル

土地略奪に正義はあるか


リバタリアン批判の文脈でジョン・ロックの話。
リバタリアンの味方に見えるが?

ロックは民主的な政府であってもくつがえせない個人の基本的な権利が存在すると主張。生命、自由、財産に関する権利。政治以前の権利ということで「自然権」。

法律ができる前の状態「自然状態」を考えてみる。
自由であることと好き勝手に行動することは違う。
自然状態でもある種の法が存在する。それが「自然法」。
自然法では「自然権」をおかすことが制約される。

人間はすべて 唯一神 全知全能なる 創造主の作品であり
彼の所有物であって 他の誰のためでもなく
彼が喜ぶかぎりにおいて生存するように作られている
(ジョン・ロック)

神を信じないものは納得できない。
どう説明すべきか。↓

自然状態には それを統治する自然法があり
何人もそれに従わなければならない。
その法である理性は 人類に
すべての人は平等で独立しており
他人の生命 健康 自由または財産を害するべきではないと教えている。
(ジョン・ロック)

自然権=不可譲なもの(譲渡できないもの)。

アメリカ独立宣言:
アメリカ国民には 生命 自由 幸福の追究に対する不可譲な権利がある

財産について。
政府が存在する以前から私有財産が認められているとするとその根拠は?

人は誰でも 自らの一身に対する所有権を持っている
これについては彼以外の何物も権利を有しない
彼の身体による労働 手による仕事は
まさしく彼のものであると言ってよい
(ジョン・ロック)

自然が備えておいた状態から
取り出すものは何でも 自分の労働を交えたものであり
彼自身の何かを付け加えたものであるから
彼の財産となる
(ジョン・ロック)
労働はその労働者の疑いの余地のない財産であるから
彼以外の誰かが彼の労働が加えられたものに対する
権利を持つことはない。
他者のために同じようによいものが
十分に残されているかぎり。
(ジョン・ロック)
人が耕し 植物を育て
改善した土地から得られる物を利用する限り
その土地は彼の所有物である。
彼の労働が加わることでそれは一般とは区別される。
(ジョン・ロック)

つまり:自分を所有→労働を所有→労働を加えたものを所有。自分の労働の果実の所有者である。

知的財産権の論争。薬の特許。特許を尊重しなければ安い金額で多くの人を救うことができる。

討論:アメリカ大陸の先住民。植民地化の正当化。→ロックの考え方によればネイティブアメリカンに理がある。

次回はロックの考える正当な政府について。

社会に入る「同意」


ロックの哲学の重要な2つの概念「私有財産」「同意」のうち、後者について。

ロックの同意の理論を検証する。

「自然状態」の不都合。
誰でも自然法を実行できる。
自然法に対する侵害に対して誰でも人を処罰・処刑できる。
自分自身の判事。
しかし行き過ぎてしまいがちである。
これが自然状態の不都合。
人は 戦いを仕掛けてくる人を破壊することができる。
(中略)
オオカミやライオンを殺すことができるのと同じように。
そのような人には力と暴力以外の法則はなく
だからこそ危険で有害な獣と同様に扱われる。
その獣の手に人が陥ればいつでも
必ずその獣は彼を殺すに違いないからである。
(ジョン・ロック)

ゆえに人々はその状態から離れたくなる。
そこで「同意」の出番。
自然状態から抜け出す唯一の方法は他の人に同意することだ。
問題は、同意に基づいた(多数派による)政府はどんな力を持っているのか、何を決めることができるのか。

注意点:例え多数派の支配に同意したとしても我々は自然法による不可譲の権利を持っている

政府は市民1人1人の基本的な自然権を尊重し実行する義務がある。
そのため政府の力は制限されている。
私たちは政府を受け入れたからといって自然権を放棄した訳ではない。
このロックの考え方がアメリカの独立宣言に活かされている。
不可譲の権利。

最高権力は本人の同意なく
人の財産を一部たりとも奪うことはできない。
なぜなら所有権を守ることが政府の目的であり
そのために人は社会に入るのだから
財産を持つことが必然的に想定され要請されているからである。
(ジョン・ロック)
人は社会において所有権を持っており
物に対する権利はコミュニティの法律により彼らのものとなる。
ゆえに最高権力ないし立法権によって
人々の財産を意のままに処分したり
ほしいままに取り上げたりすることができると考えるのは間違いである。
(ジョン・ロック)
政府は大きな負担なしに支えられるものではない。
政府の保護を享受する者は皆
その維持のための割り当てを自分の財産から支払うべきである。
しかしそこには本人たち または彼らに選ばれた代表者によって与えられた本人の同意 すなわち多数派の同意がなければならない。
(ジョン・ロック)

財産は守られるのか、コミュニティの法律により奪われうるのか?

財産を恣意的に取り上げられるのは自然法の侵害である。
しかし、一方で財産の協定的な側面もある。何をもって財産とするか、何をもって財産を取り上げたとみなすか、そういうったことを定義するのは政府なのである。

集合的な同意。
暗黙的な同意。

これまでの聴講メモ

- 第2回「命に値段をつけられるのか」[2010-04-17-1]
- 第3回「“富”は誰のもの?」[2010-05-01-6]

マイケル・サンデル / これからの「正義」の話をしよう--いまを生き延びるための哲学