山形浩生 / 要するに
2008-04-08-5
[BookReview]
10年ほど前にウェブや雑誌で書かれたエッセイをまとめたもの。
時代を越えても古さを感じさせないものが多いなあ、と思ったら、そういうエッセイだけ選んでいるそうな(by あとがき)。
■山形浩生 / 要するに
学生だった当時から氏のエッセイや翻訳記事などをウェブでよく読んでいたのですが、そのころの懐かしいものもいろいろ。あとがきで、10年前の未来予想の当たり外れを振り返ってるのが面白いです。氏の昔のエッセイをさんざん読んだことがある人は、「まえがき」「あとがき」だけでも立ち読みでもいいのでぜひ。
以下、いくつか自分用にメモ:
確かに。
時代を越えても古さを感じさせないものが多いなあ、と思ったら、そういうエッセイだけ選んでいるそうな(by あとがき)。
■山形浩生 / 要するに
学生だった当時から氏のエッセイや翻訳記事などをウェブでよく読んでいたのですが、そのころの懐かしいものもいろいろ。あとがきで、10年前の未来予想の当たり外れを振り返ってるのが面白いです。氏の昔のエッセイをさんざん読んだことがある人は、「まえがき」「あとがき」だけでも立ち読みでもいいのでぜひ。
以下、いくつか自分用にメモ:
が、一方で特にその筋の専門家という人は、あまりいい加減なことのできない、「だいたい」「大まか」の感覚がない人が実は多いのかもしれない。学者たるもの、素人向けといえど細部をはしょるなんて堕落だ、厳密さを捨てては学者ではない、ということ言う人は実際にいる。(p.24)専門外の人向けの話なのに厳密さにこだわっちゃいがちな人はいますよね、
確かに。
つまり、だれでも思いつくあたりまえのことを、ふつうに考えて、それをそのまま表現することだけでも、それなりに意味はある。それはいまの社会における一つの価値観の表現だからだ。それはそれでむずかしいことなのかもしれないけれど、でもできないことじゃない。だれにでもできる。(p.28)この部分だけ取り出すとブログ論っぽいかも。
取材される側の、メディアへの正しい対応、というのがある。それは、相手の質問は無視して、自分のしゃべりたいことを堂々とまくしたてる、というやり方だ。テレビも新聞も、なんだかんだ言いつつ、手ぶらじゃ帰れない。こちらが一方的にしゃべれば、最終的には連中はそれを伝えるしかできないのだ。(p.279)
インターネットの大部分では、いつかどこかにいる「わかってくれる」だれかに向けて、受け手のいない情報が発信され続ける世界になりつつある。(p.312)自分探し的。
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