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仕事、家事、食事、旅行、健康、学習、教育、死後のことなどなど、自分や自分の周辺環境を記録していくことにより、これらが改善・効率化され豊かな生活が手に入るかも。
それがライフログ。
すべてを記録し、人生に活かす。

ゴードン・ベル, ジム・ゲメル / ライフログのすすめ-人生の「すべて」をデジタルに記録する!


以下、読書メモです。
気になった箇所とそれに触発されて思い浮かんだことなどをとめどなく。

ライフログの夜明け


来るべくしてやってきたライフログの時代。
ライフログを夢から現実へと運んできたのが、この三本の技術の流れ(p.18):

(1) 記録手段:ソフトとハードの発展で日々の生活を記録が容易に。
(2) ストレージ:記録媒体の価格が下がって膨大なデータの記録が可能に。
(3) 活用:データの検索、分析、転送、公開の技術が浸透。

個人的には(2)がインパクトあるかな。20年前はフロッピーでひーこら言ってたし。もちろん当時のデータは時の彼方に消失……。

どんな使い方をするにせよ、ライフログの時代の夜明けは近い。ライフログを徹底的に取り入れ、電子記憶を最大活用しようとありったけの力を注ぐのもより、自分の行動を最低限記録するにとどめるのもよし。それとも、ライフログの概念自体を全面的に否定して、生きた証しをなるべくデジタル化して残さないようにするのもよし。インターネットはもとより、コンピューターと聞くだけで眉をひそめる人は昔からいたし、そんな輩はいつの世にも存在する。今でさえも携帯電話を敬遠する人がいる。それはそれで結構。そういったものを早くから取り入れた人であれ、遅れて取り入れた人であれ、何が何でも断固お断りという人であれ、社会全体が確実にライフログ技術への道をたどりつつある。そして、僕らを取り巻く世界を変えていこうとしている。このような変化の力にはあらがえそうもない。
(p.20)

ライフログは流行るのか流行らないのかの問題ではなく、もう勝手にそうなっていく、当たり前に浸透していく、と。
記録できるんだから記録する。
記録を検索・分析できるんだから活用する。
もうこの流れは止められないですね。
ライフログにどうかかわっていくかは各自が決めていかなければならないな。

Google ストリートビュー[2008-08-09-3]のように技術的にも経済的にも可能なことはどんどん実現・実行されていくし、それが年々加速されていく。カメラが登場→顔写真流出→肖像権など法律でカバー、と同じようなことになるだろうな。技術の制限ではなく、権利の侵害に対する法律で対処。……ということを読む前に思っていたのですが、この辺りの話は8章でかなり深く論じられていました。

ライフロガーとライフブロガーの違い


自分の日々の行いを他人に閲覧してもらうためにウェブ上にアップする人のことを、ライフブロガーと言う。僕はライフロガーであって、ライフブロガーではない。どういうことかと言うと、僕は日々の行いを電子的に記録している。保守的に聞こえるかもしれないが、僕からしたら、度が過ぎた公開は愚かに思えて仕方がない。[...]僕がライフログを記録しているのは、自分のためだから、人には見せない。
(p.41)

公開可能なものだけ公開してそうでないものは公開しない、ってだけでいいじゃん。

ということで以下、自分語り。

私の場合は、生活上記録しておくべきテキスト系のメモ(≒ライフログ的なものの一部)はPCの中にある「ChangeLog ファイル」に記録しています。ChangeLog ファイルとは、簡単に言うと、日付入り時系列で記録する巨大なテキストファイル。詳しくはこちらを:

- 私の ChangeLog メモ活用法
http://ta2o.net/doc/zb/0016.html

私の ChangeLog ファイルは現在10メガバイトほどの単体ファイル(1ファイル)。
このファイルから公開可能な部分だけ抽出してこのブログ「たつをの ChangeLog」が生成されているのです。
なのでワンファイルでパブリックとプライベートが扱えるのです。
つまりライフロガーでありながらライフブロガーなのです。

生物学的記憶の記録


生物学的記憶とは下記の三つに区別できる(p.88):

(1) 手続記憶:筋肉の記憶。自転車に乗る、バレエを踊る、タイピングするなど。
(2) 意味記憶:意味や定義や概念。「猫の脚は4本」「日本の首都は東京」など。
(3) エピソード記憶:自伝的記憶。過去の経験を符号化。「運動会で脚を捻挫したとき父が元気づけるためアイスを買ってくれた」など。

手続記憶の助けになる技術は当面現れなさそうだけど、意味記憶とエピソード記憶は技術で拡張することが可能。
ライフログの時代には取捨選択なしに行動や環境情報をすべて記録していく。記録もすぐに引き出せる(活用が簡単)。
つまり、電子記録が生物学的記憶を変える、と。
見えるものすべて、耳から入るものすべて、口から発せられるものすべて、感じるものすべての記録とアクセスができりゃあ、そりゃあ変わるわ。

ログデータの永続性


記録装置とフォーマットの2つの安定性・永続性が、何年何十年とデータを蓄積し続けるのが前提のライフログにとって大きな問題。
ハードとソフトの長年保証、ですね。

1つの事例:
今から50年経っても、データを読み取れるのだろうか。ジム・メゲルと僕が1997年にウェブ上で公開した音声ファイルを、五年ぶりに再生しようとしたらできなかった。マイクロソフトでこの手の問題を担当している部署の説明によれば、そのフォーマットのライセンスが切れていて、おまけに、そのフォーマットの権利を握っていた会社が倒産してしまったそうだ。この場合データを再生できるようにするのは違法だ。その会社が復活して、もう一度ライセンスしてくれるなんてことは、現実的にあり得ない。このフォーマットはおだぶつだ。
(p.238)

身近なところではビデオテープ資産とかあるよね。
(ref. ビデオテープをDVD化するサービスについて[2010-01-31-7])

先ほど挙げた私の ChangeLog メモは1ファイルでプレインテキスト形式なので、データサイズが小さくてバックアップが簡単だし汎用的フォーマットだし、ハード問題もソフト問題も大丈夫。
ありがたや。

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