古い記事
ランダムジャンプ
新しい記事
ラ・ロシュフコー / 運と気まぐれに支配される人たち - ラ・ロシュフコー箴言集 / 角川文庫


箴言 (しんげん) 集。若いうちからこういうのばっかり読んでると、ひねくれまくった人間になるだろうな。いくつか挙げておく。

人が、これほど物惜しみもせずに、他人にくれてやるものは、忠告だけだ。
われわれが他人の長所を吹聴するのは、その人の価値に敬意を払ってというより、むしろ、われわれ自身の見識を売り込もうとしているのだ。つまり、他人を誉めているみたいだが、じつは、自分が誉められたいのだ。
完璧なる勇気とは、皆が見ている前でできることを、誰も見ていなくともできることだ。
小さい恩義なら、たいての人が喜んで返す。
中くらいの恩義なら、たくさんの人が感謝する。
だが、大きな恩義を受けて、恩知らずにならぬ人は稀である。
人間一般を知るのはた易いが、一人の人間を知るのは難しいのだ。
あとになって、次々続いて起こる欲望を全部満足させるより、最初の欲望を消しておく方がずっと楽である。
賢者は、相手をやっつけるよりも、かかり合いにならざるをもってよしとする。
人は、今、思っているほど不幸でもないし、昔、願っていたほど幸福でもない。
…怠惰とは、魂の恍惚状態みたいなものである。
それは、魂にあらゆる損失を忘れさせ、魂の失うあらゆる利福にもとって代わるものである、と言わねばならない。
過ちを犯した人たちをたしなめるとき、われわれには、善意より自惚れのほうが強く働く。長々とお説教はするものの、相手の間違いを正そうというより、自分は別物、と言ってきかせるのだ。
人は、ふつう、誉めてほしいから、誉めるのだ。
たいていの人には、あまり親切にするより、悪いことをする方が、危険は少ない。
われわれが、小さな欠点を白状するのは、ひとえに、大きなものは持っていない、と承知させるためだ。
ほんの少しのもので、賢者は幸せになる。何があっても、愚者は満足できない。かくて、ほとんどすべての人間は惨めである。