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読書力

2004-09-05-4 [Book]
齋藤孝 / 読書力 / 岩波新書

本は読んでも読まなくてもいいものというものではない。
読まなければいけないものだ。こう断言したい。 (p.5)
私の基準としては、本を読んだというのは、
まず「要約が言える」ということだ。
全体の半分しか読んでいなくとも、
その本の主旨をつかまえることは十分にできる。 (p.18)
私が読書力検定というものを行なうとすれば、やり方はこうだ。
全員に同じ新書数冊を渡し、三十分程度で要点に線を引いてもらう。 (p.21)
読書の幅が狭いと、一つのものを絶対視するようになる。教養があるとい
うことは、幅広い読書をし、総合的な判断を下すことができるということ
だ。目の前の一つの神秘にすべて心を奪われ、冷静な判断ができなくなる
者は、知性や教養があるとは言えない。 (p.51)
日本のような資源を持たない国では、教育こそが資源だ。大学生が読書力
をもたないということは、日本の確実な地盤沈下を意味する。 (p.57)
てな主旨。本は読むべし。読書に励むべし。

日本人は昔から多読だったらしいんだけど、その理由についての指摘が興
味深かったです。でも「唯一本」がなくても多読じゃない国もあるだろな。
先頃、英米文学を中心とした古書店の下井草書店の店主さんと話していた
際に、日本には聖書のような唯一絶対の本、すなわち the Book of Books
がないから、たくさんの本を読む必要があった、という話が出てきた。こ
れはおもしろい観点だ。 (p.46)

思い返してみれば、仲間とつるむよりも単独行動する人は読書家なような
気がする。単に、仲間はずれにされてるから本でも読むか、ってだけかも。
逆に、本読む時間が惜しいからつるんでられん、ってのもあるかもね。
私は自分の大学でのゼミの案内に、「単独者として門を叩くこと」という
言葉を掲げている。要するに、つるんで来るなということだが、単独者に
なるのは意外に難しい。読書をたくさんしている者ほど、単独者となりや
すい。自分自身の世界を持っているからだ。読書は元来、著者との一対一
の空間で行なわれる。[...]優れた先行者に自分から出かけていって門を
叩き話を聴く。この訓練が読書を通じてなされている。友だちとつるんで
ゼミを取るという消極的な姿勢では、どんな知識も生きてはこない。自分
から歩いて行って門を叩くからこそ、言葉は身にしみ込む。 (p.63)
で、本は身銭を切って買え(=積極的態度)、という話につながる。

ポストイットの話はやはり無視できない。
付箋は便利なものだ。付箋をたくさん貼りたくなる本は、自分にとって大
事な本だ。だから、本棚を見返してみて、付箋の数で重要度がわかる。
[...]本を自分のものにするための効果を考えれば、付箋は決して高くは
ない。まず、使ってみることをお勧めする。 (p.139)
ということで、3色ボールペンもいいけど、ポストイットも使いましょう!
ref. ちびポストイットを使おう http://lifehacks.ta2o.net/chibi-postit.html