たつをの ChangeLog

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20年前の今日、1997年6月27日。
大阪の日本橋へ行ってリコーのデジカメ DC-2Eを買ったとの記録が。
(当時奈良県生駒市に住んでいました)

画像

まだデジカメが出始めのころですね。
なんだかんだで5年くらい使っていました。

画像

日常の記録用途でしたね。
今の iPhone のカメラみたいな位置づけ。

  • たつをの日記 - 1997年6月27日
  • デジカメと私 --- リコー DC-2E
    リコー DC-2E。 1997年6月27日に日本橋の STAND-BY で購入。 本体 29000円、Windows 接続キット(DU-2W) 4800円、ACアダプター 3000円、 税込合計 38640円でした。 38 万画素なのだが、WWW で公開するような写真には充分。 私に言わせれば、100 万や 200 万画素なんて印刷目的でなければ性能過剰。

ちなみにカシオの「QV-10」が出たのが1995年。
それからデジカメの存在感が広がって今に至るわけで。
もう20年以上も経つのですね。

小倉の中心部にある小倉城に行ってきました。
戦後に再建したコンクリートの天守閣です。

小倉城

小倉城はトラ推しみたいです。
お迎えの虎(迎え虎)とお見送りの虎(送り虎)の絵。

小倉城 小倉城

そして小倉城のキャラ「とらっちゃ」。
かわいい!

小倉城

うちの子(寅年生まれでネット名とらちゃん)のためにとらっちゃのぬいぐるみをお土産に買おうとしたのですが、売店にはありませんでした。
品切れなのか!?
商業的機会損失甚大!?

小倉城のお土産

とてもがっかりしていたのですが、あとで別の場所にあるお土産屋さんでストラップが売っていてのでゲットしました。
カワイイ!

とらっちゃストラップ

あと、天守閣の上からの景色:

小倉城からの景色

参考

この記事に言及しているこのブログ内の記事

君主たちの覇権争いをクラス内でのグループ抗争に置き換えての君主論解説本。
権謀術数を駆使する小学5年生たち。
分かりやすいし、面白い。
おすすめ本です。

架神恭介, 辰巳一世 / よいこの君主論 (ちくま文庫) [Kindle版]

マキャベリの名著『君主論』を武器にクラス制覇へと乗り出した小学五年生のひろしくん。だが、彼の前に権力への野望を持つ恐るべき子供たちが立ち塞がる。『君主論』はひろしくんを覇王へと導くことができるのか?小学生の権力闘争を舞台に楽しく学べる『君主論』。クラスを牛耳りたい良い子のみんなも、お子様に帝王学を学ばせたい保護者の方も、国家元首を目指す不敵なあなたも必読の一冊。

各章のストーリーは君主論の各章の内容を元に、クラス内のグループの遷移が(小説ではなく)第3者視点によるレポートとして進んでいきます。小学校5年生のクラスの1年を通して、クラス全体の心を掌握し統一するストーリー。

ストーリー部分は要約・あらすじといってもいいかも。小説仕立てにすると、君主論全体をカバーするには分量が多すぎて大変なことになるので、これくらいがベストでしょうね。このストーリーを元に脚本書いてドラマ化なり漫画化なりすると面白そうだな。

で、各章の終わりには、その章についてのまとめとして、先生が男の子と女の子に解説していくという構成。
先生(ふくろう先生)による解説の例:
マキャベリはね、極悪非道には『良い極悪非道』と『悪い極悪非道』があると言ってるんだ。良い極悪非道とは、政権を奪い取るために必要な悪行を最初に一度だけまとめて行って、その後は極悪非道を用いずに平民どもの暮らしを良くすることだけを考えることだよ。極悪非道を繰り返さないことで民衆どもを安心させ、ゆっくり恩恵を施すことで人心を摑めれば、それは良い極悪非道と言えるだろうね。
極悪非道は一回限りで済ませるのが吉ですね。

もともとの本は昔ブログでさらりと紹介した「完全覇道マニュアル-はじめてのマキャベリズム」。2009年に文庫化されたときにタイトルがかわったそう。

関連記事


この記事、とても面白いです。

- 消えた地図記号、平成生まれの地図記号 (デイリーポータルZ:@nifty)
http://portal.nifty.com/kiji/151207195221_1.htm

で、ちょっと気になったのは中盤で出てくる品川区上大崎長者丸にあった陸軍の衛生材料廠。これって、現在の恵比寿ガーデンプレイスのような気がする。こは、明治20年から昭和の終わりまでずっとヱビスビールの工場があったはず。ビールは軍需品みたいな扱いなので当時は陸軍所轄になっていたということ?

恵比寿ガーデンプレイス近くにあった陸軍施設について

「Wikipedia:海軍大学校」によると:
1932年(昭和7年)8月27日、東京・上大崎元陸軍衛生材料廠跡に移転、同年9月1日新校舍にて授業開始。新しい海大は庁舎と呼ばれた校舎を中心に兵棋演習場、科学実験場などを備えた大規模な施設であった。

「Wikipedia:上大崎」によると:
上大崎二丁目の現在UR大規模集合住宅となっている一帯には太平洋戦争の敗戦まで海軍大学校があり、その跡地には国立予防衛生研究所および日映新社撮影所が存在していた。

衛生材料廠のあとに海軍大学校が移転してきたとのことで、ビールの話は出てこない。となるとエビス工場は戦時中は接収されて一部は他の用途に使われてたりしたのかな。それともそもそも南北で軍とエビスビールで別れていた土地なのか。

goo地図の昭和22年の空中写真を見てみると、敷地の境はわかんないけど、ビール工場と軍の施設が南北に配置されてもおかしくない感じがする。

恵比寿ガーデンプレイス近くにあった陸軍施設について

うーん、やっぱり両方あったっぽいなあ。ビール工場の後ろ(南)に軍の施設、という配置なのかな。確かに、出入り口は北側だけっぽいから安全性が高そう。南と東は崖だし、西は線路で見通しいい。要塞っぽいイメージもある。

というわけで、すっきりではないけど疑問は少し解決。機会があったらまた調べます。エビスビール記念館の展示資料もまた見てみよっと。

これ結構おもしろかったです。こういう観点で見てみると、なんかすごくうまくいって良かったね感。

坂野潤治, 大野健一 / 明治維新 1858-1881 [Kindle版]

途上国ニッポンはなぜ一等国になれたのか? 「富国強兵」「公議輿論」--。幕末維新期、複数の国家目標を成就に導いた「柔構造」モデルとは何か? 政治史家と開発経済学者が明治維新の本質を捉え直す一冊。

明治維新についての話なのですが、いろんな思想を持ったグループ・個人の変化・合従連合など政治まわりの動きを中心に追っているので、歴史物、伝記物とかとは根本的に違います。学術書に近いかと。3部構成なんだけど、もともと第一部は英語論文として投稿したもの(の日本語版)。

複数の国家目標のベクトルがあり、どれを優先するかで方向性が柔軟に変わっていくわけです。だれが何を選んで、どう主導権をとって、どう変えて、その後どう別ベクトルに変わるか、みたいな流れなのですが、この政局において大きな遺恨を残さなかったというところがポイント。敵対する思想グループを大虐殺とかなかったわけで。

アマゾンのカスタマーレビューにわかりやすいレビュー(まとめ)がたくさんあるのでそちらから読むのがオススメです。
この記事に言及しているこのブログ内の記事

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