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紙は減るだろうがなくならない。
モノとしての利用法において、未来永劫存続する。
と思う。

紙と仕事や伝言の量 - inside out
<http://www.hirax.net/diaryweb/2005/04/17.html#200504173>
紙が素晴らしい大きな理由の一つは「紙がモノである」ということだと、ふと考えた。[...]
例えば、かつて「本」は知識という形のないものを「本」というモノに物体化した。[...]
あるいは、例えばポストイットはよく伝言やメモを貼り付けたりすることに使われる。それが素晴らしいのは、伝言やメッセージを「一枚のポストイット」というモノとして姿を現させることである。モノとして伝言やメモが姿を見せていれば、人はそれを把握しやすいに違いない。
同感。

実世界に「モノ」として存在していないデータは把握しにくい。日々、電子メモをつけている私であるが、やはり電子データの把握しにくさを感じる。(もちろん電子データには検索や再利用の容易性などの大きな利点がある。適所適材。)

電子データの不便な側面は現在のディスプレイという制約が原因かと思っている。インタフェースの問題。紙のように読めて、ペンで書き込みもでき、折り曲げたり、ちぎったり、貼り付けたりでき、しかも電子的に保存されるような電子媒体があれば良いのだろうが、道は遠そう。コストも普通の紙と比べてどうか。
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