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村上春樹 / 辺境・近境 / 新潮文庫


メキシコやノモンハンや瀬戸内海の無人島や讃岐などの旅行紀です。
いろいろ紹介したいのですが、長くなるので3点だけ。

讃岐旅行は、讃岐うどん (セルフ店やうどんを食べさせてくれる製麺所など) のディープな世界についての紹介で、現在のさぬきうどんブームの先駆けかな。
この旅行を終えたあとでは、うどんというものに対する僕の考え方もがらっと変わってしまったような気がする。僕のうどん観にとっての「革命的転換があった」と言っても過言ではない。
(p.158)
私も本場の讃岐うどんを体験[2003-05-01-1]した後、うどん観ががらっと変わりました。こういうのは理想的な旅行なんでしょうね。

メキシコ旅行では、旅行とはなんなのかということを考えさせられます。例えば、旅行は根本的に疲れるものだ、という話。
一人でメキシコを旅行してみてあらためてつくづく感じたことは、旅行というのは根本的に疲れるものなんだということだった。
これは僕が数多くの旅行をしたのち体得した絶対的真理である。
旅行は疲れるものであり、疲れない旅行は旅行ではない。
延々とつづくアンチ・クライマックス、予想はずれ、見込み違いの数々。
(p.84)
とにかく疲れるのは確か。得るもの多いでしょうが、やはり疲れます。
最近は国内旅行ですら億劫です。というか、もっと体力つけなきゃ。

最後の章 (談話) では、氏の旅行の記録術、メモ術などが語られています。
非常に参考になりました。まあ、基本と言えば、基本ですが。
僕はだいたいにおいて、実際に旅行しているあいだは、そんなに細かく文字の記録はとりません。
そのかわりいつも小さいノートをポケットに持っていて、その都度その都度ヘッドラインみたいなものをそこに並べて書き込んでいくんです。たとえば「風呂敷おばさん!」とかね。
あとでノートを開いて「風呂敷おばさん!」という言葉を見れば、ああそうだ、トルコとイランの国境近くのあの小さな町にあんな変わったおばさんがいたな、とすっと思い出せるような態勢にしておくんです。
要するに自分にとっていちばんわかりやすいかたちのヘッドラインであればいいんです。
(p.296)
日にちとか場所の名前とかいろんな数字とかは、忘れるとものを書くときに現実的に困るから、資料としてできるだけ丹念にメモしておきますが、細かい記述とか描写はなるべくなら書き込まないようにする。
(p.297)
机に向かって、メモした単語をたよりに頭の中でいろんな現場を再現していくわけです。だいたい帰国して一ヶ月、二ヶ月たってから文章を書き始めることが多いですね。
経験的に言って、それくらいインターヴァルを置いたほうが結果はいいみたいです。そのあいだに沈むべきものは沈むし、浮かぶべきものは浮かぶし。そして浮かんだものだけがすっとうまく自然に繋がっていくんです。
そうすると文章にひとつの太いラインができてきます。
忘れるということも大事なことなんです。
(p.298)
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