ブログでの他者批判は読者に認められたい欲求の裏返し
2009-11-03-5
[Blog]
「勝間和代の人生を変えるコトバ」で取り上げられていた言葉「批判は認められたい欲求の裏返しである」。
これはまさにその通りだと思います。
- 批判は認められたい欲求の裏返しである (勝間和代の人生を変えるコトバ)
http://www.asahi.com/business/topics/katsuma/TKY200911010097.html
とはいえ、
メールなどの「非公開手段」で直接批判するのではなく、
自分のブログなどの「公開手段」で批判するようなときは、
「自分の専門知識を相手にわからせたい」
というよりも
「自分の専門知識をギャラリー(ブログ読者)にわからせたい」
という要求の方が大きいかと思われます。
よく分かってないギャラリーに
「やっぱこのブロガーさんはすごいんだ!」
と思わせることができればしめたものです。
小さな世界の大将になれます。
イエスマン的な信者・取り巻きが多い辛口ブログがあるとしたら、こんな構図なのかもね。
これはまさにその通りだと思います。
- 批判は認められたい欲求の裏返しである (勝間和代の人生を変えるコトバ)
http://www.asahi.com/business/topics/katsuma/TKY200911010097.html
そして、例えば自分は勝間よりもいい言葉を知っているし、コラムを書く能力があるのに、その機会がない、自分の能力が認められていない、という無意識の不満があり、それが相手(私)に対する批判という形で表れるのです。
実際、私にも心当たりがあります。自分がコンサルティングや経営分析をする際に、特に自分が詳しいサービスほど必要以上に批判的で、非難的になるのです。
なぜなら、知見が多いために穴も見えやすく、ついついあら探しをしてしまったり、欠点を考えたり、うまくいかないのではないかと突っ込んでしまったりします。
これはすなわち、「自分の専門知識を相手にわからせたい」という承認欲求の裏返しなのでしょう。
とはいえ、
メールなどの「非公開手段」で直接批判するのではなく、
自分のブログなどの「公開手段」で批判するようなときは、
「自分の専門知識を相手にわからせたい」
というよりも
「自分の専門知識をギャラリー(ブログ読者)にわからせたい」
という要求の方が大きいかと思われます。
よく分かってないギャラリーに
「やっぱこのブロガーさんはすごいんだ!」
と思わせることができればしめたものです。
小さな世界の大将になれます。
イエスマン的な信者・取り巻きが多い辛口ブログがあるとしたら、こんな構図なのかもね。