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「検索すればすむことを頭に溜め込んでも仕方がない」
という主張をたまにみかけます。
たとえば、若者に影響力のある梅田望夫さんの次のような文章:

  • 「世界観、ビジョン、仕事、挑戦 - 個として強く生きるには」講演録 (JTPAシリコンバレー・ツアー2008年3月6日)
    http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20080629/p1
    そして、「情報を得る力」を何のために使うのが、個としていちばん意味があるのか。よく、情報を頭にいっぱいつめこんで、自分はこんなに頭がいいということをひけらかす人がいますが、そんなものは、グーグルに必ず負けるのだから、それに価値はない。

これについて某氏と

「調べれば分かることを調べなくても分かることが判断のスピードをはやめるんじゃね?」

などとチャットしていたら、彼が文章にまとめてくれたので許可を得て掲載:

梅田さんが言っているのは
「頭がいいことをひけらかすために情報を頭にいっぱいつめこむのは価値がない」
ということだが、これを誤解して
「情報を頭にいっぱいつめこむのは価値がない」
と捉えている人もいるようだ。

たしかに、頭がいいのをひけらかすのが目的なら価値はないが、頭にいっぱいつめこむこと自体は今でも絶対に必要なことである。
というもの、たとえば、会議で議論している最中にググったりウィキペディアを調べたり、なんてことはできないわけで、とっさに頭から出てくることが重要な場面はかなりあるからだ。
あるいは、仕事で技術的な障害対応にあたっているときに、次から次へと解決策を出せる人と、いちいち調べてのろのろと試行錯誤している人では仕事の効率に雲泥の差がある。

英語を喋るのに英単語の語彙をある程度暗記するのが必要なように、仕事をする上では仕事に関連する「語彙」を暗記するのは不可欠だ。
辞書を引けば載っているんだから語彙なんか暗記する必要がない、なんていう人はいないだろう。

まあ、なにがなんでも「情報を頭にいっぱいつめこむのは価値がない」と捉えちゃう「うっかり者」がどれだけいるか分からないですが、こういうのって結局は程度問題ですよね。
無駄な情報をいっぱいつめこむ価値はないけど、重要な情報はつめこむべき。
で、あとは取捨選択するための判断力。
何を記憶し、何を記憶しない(検索で済ませる)かをきちんと判断すること、判断できるようになること。
それの判断ができないうちは、詰め込められるものは詰め込んでおいた方が良いかと思います。
詰め込められるうちに…。
例えば、学生のうちに英単語を、とかね。

で、一番言いたかったことは、
「情報を頭にいっぱいつめこむのは価値がない」
をサボリの口実に使わないように!(自戒を込めて[2006-02-24-1]