「正しい意見」をあらかじめ決定して意見の多様性を奪う行為は、アカデミアの本来の存在理念に真っ向から反しているのだ。社会正義は、それ自体は望ましいものだとしても、真実の追求という行為を阻害するのであれば深刻な問題となり得る。おそろしい、おそろしい
悪意があってそうしているなら、その人の排除で問題は解決するが、構造がそうしているなら構造を変えない限りは同じことが起こる。しかし、構造が問題だと知るには知識がいるし複眼的な視点もいる。複眼的な視点を手に入れるには違う立場、違う考えの人との対話が重要なのだろうと思う。単純な「悪」の存在を欲するようになりがち。