もし僕の墓碑銘なんてものがあるとしたら、“少なくとも最後まで歩かなかった”と刻んでもらいたい - 1982年の秋、専業作家としての生活を開始したとき路上を走り始め、以来、今にいたるまで世界各地でフル・マラソンやトライアスロン・レースを走り続けてきた。村上春樹が「走る小説家」として自分自身について真正面から綴る。
Pain is inevitable. Suffering is optional.
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「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」
(p.5)
小説を書くことは、フル・マラソンを走るのに似ている。基本的なことを言えば、創作者にとって、そのモチベーションは自らの中に静かに確実に存在するものであって、外部にかたちや基準を求めるべきではない。とのこと。
(p.25)
これからの長い人生を小説家として送っていくつもりなら、体力を維持しつつ、体重を適正に保つための方法を見つけなくてはならない。
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走ることにはいくつかの大きな利点があった。まずだいいちに仲間や相手を必要としない。特別な道具や装備も不要だ。特別な場所まで足を運ばなくてもいい。ランニングに適したシューズがあり、まずまずの道路があれば、気が向いたときに好きなだけ走ることができる。
(p.57)
僕がこうして二十年以上走り続けていられるのは、結局は走ることが性に合っていたからだろう。少なくとも「それほど苦痛ではなかった」からだ。人間というのは、好きなことは自然に続けられるし、好きではないこと続けられないようにできている。そこには意志みたいなものも、少しくらいは関係しているだろう。しかしどんなに意志が強い人でも、どんなに負けず嫌いな人でも、意に染まないことを長く続けることはできない。またたとえできたとしても、かえって身体によくないはずだ。
(p.70)