いや、本当のところ、このテのガジェットについては、愚かな購入事例が数例あるばかりで、賢い買い方なんてものは、そもそも存在しないのかもしれない。が、それでもやっぱり初期バージョンに飛びつくのは、愚かな処世ではある。猫舌のくせにチーズフォンデュに目がない男、みたいなこの種の前のめりの購入者を、業界の人間は「人柱」と呼んでいる。そう、橋梁や城郭の造営に先立って、基礎固めないしは魔除けのために土壌に埋められた不運な人々の別名だ。
iPadを装備した人間は、液晶画面のうちにあるウェブ上の現実に依存している。外に出たのに依然として。とすると、これは、マジメな話、ちょっとヤバいことなのかもしれないぞ。
夏休みを友人の別荘で過ごして家に帰った自分が、一杯のお茶を飲むよりも先に、パソコンの電源を入れるそのありさまが、自分ながら滑稽に感じられたからだ。さよう。私は、旅先から帰宅すると、なによりもまず第一にメールをチェックし、インターネットエクスプローラーを立ち上げて巡回ページを確認せねばならなかった。金魚鉢に放たれた金魚がいきなり水面に顔を出して口をパクパクさせるみたいに、だ。
やっかいな副作用がある。
私自身、「思い出せないヒット曲の名前」や、「昔行ったことのある中部地方の神社があった駅」みたいな記憶について、曖昧なままにしておくことが苦手になってきていて、そういう小さな疑問は、その都度ウェブにアクセスして調べをつけずにおれないカラダになっている。
が、それも、家にいる時だけの話だ。
外にいる時は、色々なことを適当なままにしている。
そうでないと身がもたない。
が、iPad持ちの人間は、自室を外界に持ち出すのではなかろうか。