[...]だいたい忙しそうにしている人間ほど、無能だし、その実それほど忙しくもないし、たとえ忙しくても、どうでも良いことに関わっているだけで、創造的な仕事を何もしていない。(p.137)
忙しさというのは、結局のところ、「忙しさ」についての「うぐぐぐぐー」という話。
「忙しく」見せかけて、「やりたくないこと」から
自分を防御するための偽装にすぎないのでは、
という気がしてならない。
多くの忙しさは、自分で望んで設定した忙しさだったりする。
もっと早くやっておけば良かった。ぎりぎりまでやらずにいたのは、
忙しくしないとできないほどつまらないものなのか、あるいは、
ぎりぎりにやった方が短期決戦になって好都合なのか、
誰かがやると思って様子を見ていたけれど、
予想どおり誰もやらなかったものなのか、いろいろケースはあるにせよ、
どれも、自分で予想して招いた(あるいは育てた)忙しさなのである。
(p.147)
どれくらい自己完結できるか、が趣味の醍醐味ではないだろうか。趣味の鉄道模型、庭園鉄道について述べた一文。
(p.226)