「休みも不定期で友達とも会えないから、
どんどん世界が狭くなっていくんです。
部屋と店舗の往復だけ。仕事の話も、同僚としかしないから、
次第にそういう価値観に染まってしまう……それがとても怖かった。
今思うと、筒の中を走り続けるハムスターみたいなものですよ」(p.21)
「もう一つ、強く感じるのが、職場以外でのネットワークの弱さです。常に外に目を向けるのが重要ですね。
結婚も友人も、企業内で完結する人がとても多い。
仕事以外での他人とのつながりが、特に30代以降の男性労働者には
非常に希薄な気がします」(p.154)
新卒で入社し、定年までその会社で働くことが、最近は、例えば技術者なら技術者なりのキャリアパスってのが
かつての日本における代表的な人生モデルだった。
だから「何でもやります」という若者を企業も優先し、
学校側も企業の期待に応えるべく、
そういった人材を輩出し続けてきた。[...]
「日本企業だと
『部長になったから、これからはマーケティングをやりたまえ』
なんて言われるわけです。だから、やりたくもない人が、
本で齧っただけのマーケティングを嫌々やっている。
そんなことやったって上手く回りっこない」(p.42)
ところで、東大生との交流イベントの際、
彼と会話を交わした学生のほとんどすべてが、ある共通の質問をしたという。
「どうしてお坊さんになったんですか?」
その時のことを、彼は面白そうに語ってくれた。
「逆に私が、『ではどうしてあなたは官僚になりたいと思うんですか?』
と聞くと、みんな答えられないんです。不思議ですね」(p.110)
[...]そこら辺を歩いている留学生をつかまえて、冒頭の質問流されているか主体的であるか。目的、キャリアビジョンがあるか。
(注:就職の時期になって「私はこれから、何をやったらいいんでしょうか?」)を
ぶつけてみるといい。アジアだろうがアフリカだろうが欧州だろうが、
どこの出身であっても、きっとこう言って驚くに違いない。
「だったら君はなぜ大学なんかに入学したんだい?」
四年間ぶらぶらしたあげく、卒業間際になって「何をやったらいいんでしょう」
と戸惑う人間を量産するような教育システムは、今や社会にとってはもちろん、
個人の人生にとっても、大きすぎる損失だろう。(p.164(
「キャリア官僚を志す人間は、誰でも最初は何かしらの理想をそりゃそうでしょうね。
持っているんです。最初から天下りしたかったり、
権力が欲しくて官僚になる人間なんていませんよ」(p.131)
「最近の若者は……という人たちは、その程度の学生にしか若者でもエリートたちは先鋭化しているそうな。
相手にされていない、という言い方もできるでしょう。(p.180)
そういう意味では、チョンマゲと共に古い価値観を捨て、植民地化の危機など、なんとかしたい問題があったので
青年に志、つまり新たな価値観の重要さを説いた明治の先人達は、
実に見事だったと言える。かたや、既得権に固執し、
若者を騙して賢明に搾取しようとする現代日本人は、なるほど、
この50年で確かに品性下劣に成り下がったものだ。(p.232)