たいていの人間は、静かな絶望の生活を送っている。いわゆるあきらめとは、絶望の確認にほかならない。
教義問答ではないが、人間の第一目的はなにか、生活のほんとうの必要物や手段はなにか、といった問題について考えてみると、ひとびとはありふれた暮らし方がなによりも気に入ったからこそ、それを意図的に選んだかのようにみえる。ところが彼らはそれよりほかに選択の余地がないと思いこんでいるのだ。
たとえ皮相な文明のまっただなかにあっても、原始的な辺境生活を送ってみると、最低限の生活必需品とはなんであり、それを手に入れるにはどうしたらよいかがわかる。これはなかなか有益である。
みんなが褒めたりもてはやしたりする人生は、数ある人生のひとつにすぎない。なぜほかの生き方を犠牲にして、ひとつの生き方だけを過大視しなくてはならないのだろうか。
時は私が釣り糸を垂れる小川にすぎない。