国民年金の場合、将来の保険料引き上げを考慮しても、支払った額以上の年金が戻ってくる可能性が高い。そのうえ保険料は全額、所得から控除され、受給時にも公的年金控除の適用が受けられる。いずれも民間の保険会社ではあり得ない大盤振る舞いだ。国民年金の保険料を支払うのは、経済的にはかなり合理的な選択なのだ。ま、そんな宣伝はしないだろうけど。という、ネタにマジレスはともかく、いいよなあ国民年金…。国民年金入りたい!
対岸の厚生年金で火の手が上がるのを見て、国民年金加入者は続々と逃げ出していく。これはかなり皮肉な光景ではないだろうか。
社会保険庁は、「厚生年金は大損だが、国民年金は絶対儲かる!」と大々的に宣伝したらどうだろう。[...] (p.55)
有名病院で三分間の診療を受けるのに半日かかる。誰だって、高名な医者に診てもらいたいと思う。病院の選択が自由で医療費が安ければ、患者の集中は防ぎようがない。結果的に、日本では暇な人ほど質の高い医療を受けられる。
金で患者を差別するのは不平等である。では、時間による差別は何と呼ぶのだろう。(p.66)
知人はこの底辺校に奉職しているが、自分の職場は教育機関ではなく、生徒の収容施設だと言う。我が校の責務は、日中、異様な風体の子供たちが街を徘徊し、健全な社会生活を脅かすのを阻止することだ。教師たちは、地域社会の期待に応えるべく重責に耐えている、と説明された。うごごごお。ぐわはあ。(連載当時の抜き書き→[2004-02-16-4])
(p.72)
不動産市場が効率的であれば、持ち家と賃貸に優劣はない。(p.85)まあ、確かにそうかも。
持ち家か賃貸かはリスク選好度によって決まる。不動産市場のリスクを取りたくない人は賃貸を選ぶ。保守的な人は借金をせず、現金で一括購入するだろう。逆に大きなリスクを取りたい人は、住宅ローンでレバレッジをかけてマイホームを購入する。(p.87)優劣はないとなると、あとはリスク取るか取らないか。
日本人はリスクを好まないと言われるが、これも妄説である。日本人は戦後ずっと、個人も企業も不動産市場にハイリスクな投資を行ってきた。そしてバブル崩壊後の今も、多くの人がマイホームという名の危険な投資に好んで金を投じているのだ。(p.87)これは、マイホームならではの特徴も関係ありげ。
マイホームには、所有する者に喜びをもたらすという、他の資産にはない大きな特徴がある。(p.92)
米国に極右政党が存在しないのは、福祉が貧困だからだ。ヨーロッパで組織的・暴力的な移民排斥運動が広がるのは、社会福祉が充実しているからである。(p.228)
先進国の社会的弱者は、世界基準ではとてつもなく裕福な人たちだ。彼らが極右政党を組織して移民排斥を求めるのは、福祉のパイが限られていることを知っているからだ。(p.229)で、「福祉国家」は「差別国家」だ、と。
人生は、日々の積み重ねの延長線上にある。だから、簡単には変わらない。そんなことは、彼も知っていたはずだ。なんとなく悲しくなったので引用。
最近、彼がアパートを引き払って、予定のない長い旅に出たことを聞いた。今頃はインドを放浪しているはずだという。
際限のない自由を手に入れた彼は、人生を変える体験をまだ探し続けている。
旅はいつか終わり、戻るべき家はない。 (p.25)