だが、それ以上に問題なのは、作文をテクニックとして考えない態度にあると私は考える。
「テクニックというような小手先のことではだめだ。精神が問題だ」というのが日本の教育の根本的な考え方なのだろう。
こうして、書き方のテクニックを教えず、個性を出すためのテクニックも教えず、「作文はその人のありのままの姿を表すものだから、飾らずにありのままの自分を書け」という作文教育がなされることになる。
「遠足は楽しかった」「交通ルールを守ることがだいじだ」といった人間としての成長を書くのが作文だとみなされている。
その結果、「個性的に書け」という掛け声とは裏腹に、みんなが同じような道徳的な作文を書いてしまう。稚拙な文章が「子どもらしい」ということで評価されることになる。
1日を1章とし、1年366日、古今東西の聖賢の名言を、日々の心の糧となるこ、こ、これは読まねば!てなことで発注。
よう、結集・結晶させた、一大「アンソロジー」。最晩年のトルストイが、
序文だけでも100回以上の推敲を重ね、6年の歳月を費やし、心血を注いで
完成させた。総勢170名にものぼる聖賢の名言の数々は、まさに「壮観」。
トルストイ自身、「自分の著述は忘れ去られても、この書物だけは、きっ
と人びとの記憶に残るに違いない」と語り[...]。トルストイを敬愛して
やまない訳者の「心訳」による、わが国初の完全訳。 (レビューより)