便をなくすことが出来ないのと同様に、死体を消すことは出来ないのです。
となると、「死だの死体だのは見たくもないし、考えたくもない」という姿勢は、当たり前のことを見ようとしていないということに他ならないのです。死体が気持ち悪い、というのは当然の常識だと思うかもしれません。でもそれは都会の常識に過ぎないかもしれないでしょう。(p.44)
亡くなったあとのお爺ちゃん、お婆ちゃんのヒゲや髪の毛が伸びたというのはよく聞く話でしょう。[...]こう考えれば、「生死の境目」「死の瞬間」が厳格に存在しているというのは勝手な思い込みに過ぎないことがわかるはずです。法律上の定義が、死の全貌を示しているとどこかで思い込んだから生じた誤解に過ぎません。人が本当にどの時点で死んだのかというのは実は決定できない。(p.58)
死というのは勝手に訪れてくるのであって、自分がどうこうするようなものではない、それを考えるのは猿知恵で良くないと思っているのです。きっときちんと考える人もいるのでしょう。しかし私はそうではない。だから自分の死に方については私は考えないのです。
無駄だからです。 (p.168)
通常の関東ローム層の酸性土壌だから、骨が溶けてしまう。[...]旧石器の石器は出るけど人骨は出ない。人骨は消えてしまう。(p.43)へえ。なるなる。
そもそも本に書いてあることを全部絶対正しいなんて思わないでくれと常々言っているのですが、真面目な人はそれだけで怒るようです。(p.11)ベストセラーになっちゃうと、あまり本を読まない人も読んだりして、そういう人も多くなるかもねえ。
反権力を声高に言ってる者は、つまり俺に権力をよこせと言っているに過ぎない。決して体制そのものに異を唱えているわけではない。反権力と反体制は別ものです。(p.126)
少し考えればおわかりいただけるはずです。たとえば唇は存在しています。
それを指せばそこにあります。舌も存在しています。でも唇でも舌でもない「口」はどこにあるのか。それは穴でしかない。実体がないのです。
(p.166)