なぜ、アボカドはむずかしい?究極のジョギング・コースってどこだろう。アザラシのくちづけの味、ギリシャの幽霊、ロシアと日本のかぶをめぐる昔話の違い…etc。小説家の抽斗から飛び出す愉しいエピソードの数々。長編小説『1Q84』刊行後、雑誌「アンアン」に連載された人気エッセイ・シリーズ52編を収録する。
小説を書くときには、小説家は頭の中にたくさんの抽斗(※ひきだし)を必要とします。ささやかなエピソード、細かい知識、ちょっとした記憶、個人的な世界観(みたいなもの)……、
小説を書いているとそういうマテリアルがあちこちで役に立ちます。でもそういうあれこれを、エッセイみたいなかたちでほいほい放出してしまうと、小説の中で自由に使えなくなる。だからケチをして(というか)、こそこそと抽斗に隠してしまっておくわけです。でも小説を書き終えると、結局は使われずに終わった抽斗がいくつも出てくるし、そのうちのいくつかはエッセイの材料として使えそうだな、ということにもなるわけです。
僕は本職が小説家であって、エッセイは基本的に「ビール会社が作るウーロン茶」みたいなものだと考えています。でも世の中には「私はビールが苦手で、ウーロン茶しか飲まない」という人もたくさんおられるわけだし、もちろん手を抜くことはできない。いったんウーロン茶を作るからには、日本でいちばんおいしいウーロン茶を目指して作るというのは、物書きとして当然の気構えです。
僕も若い頃は、けっこう頭に血が上りやすい性格だった。でも早とちりや事実誤認があって、それで腹を立てるケースが少なくないことにあるとき気づき、「もっと用心して怒るようにしなくちゃ」と思った。何かでかっとしてもその場では行動に移さず、一息おいて前後の事情を見きわめ、「これなら怒ってもよかろう」と納得したところで腹を立てることにした。いわゆる「アンガー・マネジメント」だ。
(p.44)
Those who live in glass houses shouldn'n throw stones.
ガラスの家に住む人はみだりに石を投げるべきではない。
(p.160)
たとえばうちの奥さんは揚げ物、鍋物が全般的に好きじゃないので、結婚してこのかた、そういうものはいっさい作ってくれない。「生き方に反する」ということだ。そう言われると反論のしようがない。夫婦とはいえ「生き方に反してくれ」とはなかなか言えない。「じゃああなたにも一つ、生き方に反してもらいましょう」とか言い出されたらけっこう困る。
(p.168)