たつをの ChangeLog : 2006-03-22

昨日の記事[2006-03-21-3]と同じブログにこんなのもありました。

育児板拾い読み@2ch: そんなふうに考えている時期が俺にもありました
<http://ikuzi.seesaa.net/article/15125387.html>
sample

むむむむ。人生って厳しいですね。

先端研ブログ[2006-03-07-1]にセミナーレポートをアップ!
よろしくお願いします。

CNET Japan Blog -
先端研ブログ:オンラインショッピングとオンラインゲームのユーザ調査
<http://blog.japan.cnet.com/sentan/archives/002676.html>
この記事に言及しているこのブログ内の記事

牛後の紅茶

2006-03-22-3 [Neta]
「午後の紅茶」ではなく「牛後の紅茶」というのはどうか。
鶏口牛後(鶏口となるも牛後となるなかれ)[2006-03-21-4]の牛後ね。

牛後の紅茶
<http://www.beverage.co.jp/gogo/op.html>

まあ既出ではあったが。
Yahoo! → 牛後の紅茶
Google → 牛後の紅茶

茂木健一郎著「脳の中の人生[2006-03-21-1]より、
なるほどと思った話。

いきなり京都へ行って「哲学の道」を歩いても、
有意義な思索にふけることができるかというと、
そうとも言えないようです。
西田幾多郎は、毎日のように「哲学の道」を歩いていたからこそ、
さまざまな思索にふけることができたのではないか。京都のあの風光明媚
な道だけが、哲学の道なのではない。毎日の生活の中で歩いている
ありふれた道こそが、私たち一人ひとりにとっての“哲学の道”なのである。
(p.53)
確かに納得できます。
ともかく、毎朝、駅まで歩いていく道は私にとっての「哲学の道」という
ことで。

どうやら、ひらめくためには、脳がある程度「退屈」しないとダメなよう
である。目新しい刺激が次から次へと示されると、脳はそれを処理するだ
けで手いっぱいになってしまう。
慣れた道じゃないと、まわりのものに気が散ったり、迷わないかと心配し
たり。そういう道は思索にふけるよりも、新しいものを発見してウキウキ
する用途(どんな用途だ…)に良いですね。

駅までの道の話の補足ですが、毎朝同じだと「退屈」なので、刺激を得る
ため毎回違う道を歩いたりしていました。しかし、今となってはさすがに
どの道も「哲学の道」と化しているわけで。
この記事に言及しているこのブログ内の記事

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